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メメント・モリ

いつか必ず死ぬことを忘れるな

ネットが現実と繋がりだしたら、そこはもう私にとってインターネットじゃない

雑記 はてなブログ

ちょっと前にこのブログ読んだ。

nectaris.hatenablog.com

その前に、このブログが先に書かれてて、このブログも読んだ。

nectaris.hatenablog.com

これねー、本当に最近わたし、思うところがあって昔、ブクマコメントにも書いたりしたのだけど・・・。もうこれすごくわかるんですけど・・・。

 

本当に書きたいことはブログに書けないのはなぜだろう? と思ってよくよく考えてみると、やっぱり批判を畏れているからなんだよね・・・。

自分の頭では、絶対的に批判をよぶであろう、その事柄を、たしかに昔は誰も意識せずに、「クソがー!!!」と思って日記に書いてたりしてたんだけど、(例えば、学校サボって名探偵コナンを今まで出た巻をすべて読破してました♪)とか、今はそんな些細なことでも、ネットで繋がってる社会だから、例えばブログに書いたとして、誰かが観測してたら「あいつ、学校サボって名探偵コナン読んでたんだぜ・・・」「マジかよ、青山剛昌最低だな」みたいな流れになるじゃないですか・・・

だから、気楽に学校サボったー♪とか書けないし、社会人になって会社の人と繋がりだして「会社行きたくないでござる・働きたくないでござる」とか書けないですよ。

だから私にとって、ネットが現実と繋がりだしたら、そこはもう私にとってインターネットじゃないですよ、と。

この喋り方ひろゆきみたいですごく気持ち悪いなとおもって書いてますよ、と。

20年インターネットやってきて、学んだのは、私はインターネットを通じて現実と繋がってはいけない、ということです。

現実に繋がりだしたとたん、インターネットはただの現実です。

逃げ場でもなんでもなくなる。

現実と変わらず、仮面をかぶって、「そうなんですね〜それは大変ですね〜」と相づちを打つだけの世界になるんです。

今の時代の人達はネットと現実がうまく融合しているのが当たり前の世界にいたり、うまく適合出来る人たちは違和感を感じないんだろうし、うまく生きていけるんだろうなと思います。

私は自分自身が閉塞感を感じるだけであって、他人の書き散らした文章を読むのはまあ、たしかに好きではあるけど、それを求めることはあまりしないので、たまに面白い文章を見つけて「おっラッキー」くらいにしか思いませんが、ネットが現実化する世界は、私にとってものすごく生きづらいし、死にたくなります。

ネットは逃げ場所なんです。

匿名ダイアリーとかいう、増田とかいう、逃げ場所

だから、増田という場所で、たまに「どう思う?」みたいなのを書いて、クソ雑魚ナメクジとか、プリントアウトして病院いけとか、大脳の壊れたメンヘラとか言われて、フフ・・・とか安心するんですよ。

なんか増田だと、匿名の自分になれて、本当のことを書いてそれを叩かれても、なんかこう、傷を受けるしショックだけど、続けたブログで発生した乱闘試合よりも心おだやかでいられるのです。

私は少し前くらいに、どうしようもなく死にたい衝動に襲われた時があったんです。

死にたい衝動と死にたくない衝動に襲われて、どうしようもなくて、でも誰にも言えなくて。ブログにも書けなくて(理由を知ってる人がそこを見てる、闇の底があったから)、どうしようどうしよう、って泣きそうになりながら増田に書いたんです。

深夜1時くらいから書き始めて、何回も泣きながら書き直して、ああもうめんどくせー、どうせ誰もよまねーし、とおもって思い切って投稿したんです。

次の日に反応みたら、たくさんのブクマがついててびびったんです。

私のブログって、ほとんどブクマつかないんです。

特化型だしはてなユーザーほぼ皆無だし。逆に今はそれがありがたいレベルですが。おまけに共感性をあまり産まないし、話題性も逃げるし、斧投げられるの怖いから絶対に書きたくないとおもって。だから増田に書いた。そしたら増田のほうにブクマついた。

で、まずはトラバがひどかった。ひどくて、泣いて、笑った。

でもどうせ釣り、もっとがんばれおっさんとか、もっといい文章書けよ、とか。そこじゃねーよ! と思いつつ、次はブコメ開いたら、なんかいつも怖いはてなブックマークのコメントに、優しいコメント並んでた。

大脳の壊れたメンヘルとかよく考えなくても、言われてることすっげーひどいんだけど、プリントアウトして病院へいってこいって書いてあって、マジか、私、これプリントアウトして病院いくか・・・って本気で考えたレベル。

そこのブコメに書かれた内容を逐一読んで、自分にとって突かれて苦しかった意見も、休め、っていってくれるブコメも、こうしたらどうだろう?って140文字っていう短いブコメ欄を使ってアドバイスしてくれるはてなユーザーがいてくれて本当よかったって、あのとき増田に書いてよかったって思うんですよね。

そのとき、きっと増田に書いたのは、増田なら「誰も読んでくれない」という絶望と、「誰か読んでくれるかも」という入り混じった期待と不安からなんだよね。

だってほかにどこにこんな内容書けばいいんだよ・・・きっと相談したかったんだろうな、誰でもいい、誰かに聞いてほしかったんだろうな、結局は・・・って思います。

でもそれを自分のブログで日記のように書いたら色々バレちゃう世の中なんだよね。

でも自分のブログに書いたら自分語り乙とか言われないし、自分だけの場所なんだよね。

自分で物事を表現することを恐れる人が増えた気がする

だから私みたいにクソみたいな文章を書く人間が1人いるだけで、このブログには自分の言いたいことが詰まってる、代弁してくれてる、と思われてしまうのだと思う。

本当はみんな、アニメやゲームに限らず、自分が好きだと思うことを存分に語りたいのに、それを語る上で、誰かからの眼差しを感じたときに、無意識に誰かを傷つけたり、人を転ばせたり、不快にさせたりするのではないか? と、それを恐れて言えないことが自分のいるジャンル界隈でよくおきる学級会とか、追及とかを見てて、よく思う。

私もTwitterのフォロワー数が多くなっていって、若干アイドリッシュセブンの問題に触れたときに燃えているのを実感した。フォロワー数が多い人は、発言に影響があるので、発言に気をつけてくださいね、と心配された(色んな意味で)のですが、私は宗教でもおこしたの? とか正直思った。

で、そのあとPCデポ事件でヨッピーが似たようなこと言われてて既視感あるなぁ・・・と思いました。

そして、それから一生懸命多方面にめちゃくちゃ意識して、誰も傷つけないように、傷つけないようにって配慮しまくって書いた。後から読み直してめっちゃ傷つけてるな、って思うので反省はしてます。

キャラクターの名前とか誤字っただけで発狂とか、比較対象するためにいれた他作品の名前を挙げるだけで、そっちの界隈がブチ切れるとか、もうすごかった。怖かったけど、でも書きたかったので書いた。

で、分かる人にはわかったようで、わからなかった人には、なにいってんのこいつって感じで収束しました。

ソレを見て思うのは、まあ、ブログでもなんでも、読んだ人全員に理解してもらえるなんてことは無理なのだろうな、と。

「胸に響きました」って人と「なんだこのクソみたいな海苔みたいな文章」って言ってる人が両方でてきて、「うーむ」って唸りました。

結局立場的に、オーディエンスってどっちかを殴る方に回って欲しいんですよね、わかりやすい勧善懲悪じゃないですけど、中立の立場で物事を書くと軸がブレるし、言いたいことが伝わらなくなるな、って思いました。

でも私は基本どっちの言い分も理解したいし、ナンデこの人こんなこといってるの?って思考回路を色々紐解くのが好きなんです。

多数決の世界で少数派がボコボコにされてたら、「少数派だからボコボコにされてる」だけで思考停止しないで、「なんで少数派なのか」「どうして理解しあえないのか」を考えてみたくなる。

アイドリッシュセブン問題のときに、はじめてTwitter上における愚痴垢(愚痴だけをいうアカウント)の存在を知ったけど、普段繋がってるアカウントじゃあ吐き出せないって、インターネット上でも仮想現実の自分を作り出してしまうことで、居心地が悪くなってしまうってことなんだな、としみじみ痛感した。

それまでは愚痴垢じゃなくて本垢でやれって思ってたけど、それができない背景はきっとこういうところにあるんだろうな、と。ただ本垢の人に、愚痴垢でふっかけるのはやっぱり対等じゃないと思うので、何かを議論したいときは、互いに匿名でとことん殴り合うか、互いの立場を表明した上で殴り合わないと、本質的に殴り合いの視点が異なってしまうなーとは思った。

あと私は殴り合いや議論がやっぱり苦手です。動悸が起きるし、怖くなる。本当に手が震える。理解し合おうとかかっこいいポーズは取るけど、実際自分に矛先が向けられるとCHICKENなのですぐ逃げます。

そして最後に言います思います「わかる人だけわかってくれればそれでいいや・・・」と。

そんなインターネットで生きるのが生ぬるくて好きなんだと思います。相手をわからせるまでボッコボコに殴り続けるインターネットより、分かる人だけわかってくれればそれでいいかな・・・みたいなぬるいインターネットが好きなんだ、と思います。だから黒と白でわけたり、そういうのが苦手なのかもしれない。

何かを批判すると、とたんにブーメランになって帰ってくる

人間なので皆ブーメラン投法を学んで生きているんだと思います。

私は誰かを責められるほど美しい生き方をしていないので、その人の人生をまず否定することができません。

そして揚げ足をとられることをかなり恐れているので踏み込めません。だから批判に頭から突っ込んで行ける人たちはすごいなーと思うし、ブーメランの投げ合いで後頭部にブーメラン突き刺さる人たちの乱闘パーティは、ほらみてごらん・・・将来の私だよ・・・と言い聞かせながらブログを続けるしかないです。

インターネット怖すぎ無理。

だったら楽しいことだけをブログにかいていきたい・・・あとすげーくだらないこととか。「おかしいぞ?」という問題提起が「ブーメラン」になるのは怖い。心躍る内容がいい・・・。

燃え尽きた灰になったキュレーションサイトについても触れていきたい

最近の話題の炎上キュレーションサイトは確かに嫌いだったけど、情報をまとめるという意味では役に立つ場面もあった。多くはゴミだけど。そして沢山の人を怒らせてしまった。実際に引用された人だけでなく、閲覧者にも不快感を与えてしまった。

インターネットを好きな人であれば、まずでてこない方法での検索結果汚染だな、と私は思う。

インターネットを「仕事」としてみている人だったら、こんなことがこんなふうにお金にかわるんやで^^やらなきゃソンソン♪ってホイホイやるんだろうなと。

そういう会社に2社ほど入った経験があるけど、そういう思考回路の人ってすぐわかる。

そしてそういう人たちって、「法的には問題ない」って必ずいう。

法的には問題ないって自分がいうってことは、モラル的には問題あるって認めてるってことじゃねーか、と、どこかの会社で上司にいわれた経験がある身としてはやっぱそういうポリシーのひとたちとは相容れないナ、と思いました。

弁護士や警察にまで相談して、「問題ないですよね?」って確認する時点で、それって誰かに胸を張って言えることじゃないってこと、気づいて欲しい。

色々話がとっちらかってしまったけど、いいたいことなんて大体ない。なのでおしまいです。

どうもありがとうございました。