クズといわれても笑う

定期的にブログタイトル変わります

拝啓・寺島拓篤様

私はいわゆる、寺島拓篤クラスタ、寺クラとは違うと思うので、そういった界隈のクラスタさんのルールやそういったものは全く存じ上げておらず、この文章でまず寺島拓篤さんのファンの皆さんを不快にさせていたとしたなら、本当に申し訳ありません。
過去にそういったようなことを何回か申し上げてしまったことがあり、不快にさせてしまったことがあるため、事前に言い訳になってしまいますが、予め記載させていただきます。
自分はそういったつもりは全く毛頭ないのですが、どうしても自分が文章を書くときに自分本位になってしまい、結果として誰かを不快にさせることが年々多くなっているので、できれば最初に謝罪をさせてください。
また、文脈の都合上、突然の敬称略となりますが、ご了承ください。

私は結局、寺島拓篤という人を追いかけているというより、やっぱり一十木音也を通して、追いかけているのですよね。
いきなり寺島さんにも、寺島さんのファン自体にも大変失礼なことを申し上げている、ということは重々承知しております。
でも私はどうしても、寺島拓篤を一十木音也と通してみてしまう。
それがよいことなのか、悪いことなのか、最近よくわからなくなっているのだと思う。

過去にあったうたプリイベント、それにキャストコメントやスペシャルメッセージ、プリライのMCやラジオでのトーク、数々のインタビュー、寺島さんの話を聞かせていただいていますが、ファン寄りの考えの方なのだな、と思います。

声優のアイドル化も極まっていて、声の演技だけじゃなくて様々な物を求められる世の中で、プリライでギターを弾いたり、色んなキャラクターとして歌を歌ったり、声だけの仕事じゃない部分をたくさん演じられていると思います。
トークもして、作品を通じて様々なものへの知識を身につけなければいけない、・・・

そんな中でやはり、私は声優としての寺島拓篤さんがやっぱりこの1年、1番すごくて好きだとやはり思いました。
とくに、シアターシャイニングの、イッキを演じたとき。うたプリのゲーム本編はあまりそういった演出ないので、そういう一十木音也はきっと見れないんだろうなーとぼんやりを思っていたところでのイッキ。あれは本当にすばらしかったです。

私は昔、小説をたくさん読みましたが、最近はそんなパワーがありません。
でも最近、うたプリをはじめとして乙女ゲームをよくやるようになって、また声優さんのパワーを知ることになりました。
すごいんです。生きてるんです、演じてるんです、声だけで。
作品として成り立たせるのにあたって、乙女ゲームにおける声優さんのパワーは計り知れないです。

ドラマCDって、自分からすると、よーわからんけども、難易度があがるとおもってて、声だけで物語が入ってくるわけじゃないですか。
記憶能力がアッパラパーなので、声で入ってきても、次の瞬間、話を忘れてしまうんですよね・・・。
なんだろう、文字だったらきっと読むことで、一瞬記憶するけど、声だけのドラマCDは忘れてしまうんです。
だからドラマCDっていうものを初めて知ったときに苦手意識持ってしまって、感情移入ができなくて困ってたんですね。

そしたら、あのシアターシャイニングですよ。30分ぶっ通して、私のアッパラパーな脳みそは耐え切れるのか?
不安だったけど、すごいんですよ。
とくに、イッキのシーンで涙ぼっろぼろですよ。マルローのでかい声で鼓膜破かれそうになりながら、ぶん殴られる白い悪魔のことを思いながら、イッキのあの張り叫ぶような声が、世界観に没入させてくれました。
3人しか登場人物いないのにあの3人イキイキしすぎですからね? ヒロインはいるけどエアーヒロインだから…
アニメにもなって欲しいけど十分ドラマCDで声だけでおいしくいただける。
記憶ができない私の脳が、声だけで、声だけの感情ですべてを持っていかれた。
声優だ。
これが声優かぁ〜〜!!!
やられた、
声優たちが私の脳みそを声だけでガンガン殴って引きずり倒していった、そんなイメージです。

さらに今回のマジレジェ9、10話です。
ア~~~~~一十木音也が、寺島拓篤でよかったと思いました。演技、なのか? 演じているのか?
いや、演技とかもうそういうのを超えた・・・声優として、一十木音也としての寺島拓篤に心をバァンって殴られた気持ちでした。
元気な音也と、そして声を絞り出す音也。
瑛一とのやりとり。目はそらしていたかもしれないけど、耳が声を聞きに行ってしまう。

そして歌もすげぇ。モー🐄🐄🐄よくわからんけど、とにかくすげぇんだ。
声だ。
人は声だけでこんなに救われて、心を奪われて、時を止めるように感動して、泣けるものなのか?

大人になってからは泣いたら負けだって思ってたんですね。

感動して泣いたら負けだ、
辛くて泣いたら負けだ、
バカにされて泣いたら負けだ…

そんなときにあんな寺島拓篤の声聞いたら、そんな負けだクソクソクソー!ってトゲだらけだった感情が抜けて、涙がぽろぽろでた。
あー、くそ音也泣いてもいいんだよ😇とか上から目線で偉そうにしてたくせに9〜10話で音也に泣かされてしまった。
泣いてもいいんだって、あの切羽詰まって消えそうな声はその言葉を待っていたのかもしれないなあて。
何を書いてるのかさっぱりわたしもわかりません。


Twitterでも、ちょっとつぶやいたけど、私、ドラマCDでのくだりでもお気づきかと思いますが、記憶能力にきっとなんか障害でてきてるんですよ。よくわからないけど。

そもそもアニメをもうあんまり観なくなってしまって。
それでも、時たま、アニメイトで流れるCMとか予告とか、音楽とかでつい、振り向いちゃうんだけど。

でも、こういう声の力を感じると、めっちゃくちゃ興奮するんですよ。

うわぉ~~~~~わたじいいいい 今アニメを観て”るぅう”ぁあぁう~~~~~ぇおあっ”””!!って気になる。

だからイベントとかでも声優さんが朗読会してくれたりするのがめっちゃ好きなんです、
ぶっつけ本番でやらされて地獄、という話を聞いても目の前で声がしゃべってる(日本語崩壊)のがみれるなんて最高じゃないですか、

普段アニメの中にいて、会う機会なんてほっとんどないのにイベントにわざわざご足労していただけるそのありがたさとかもあったり

で、寺島拓篤さんっていっつも、ファンを見てくれてるなーって思ってて、ファンが疲れて泣きそうなときに欲しい言葉をくれて、一緒に作品を作ろうぜ!!っていってくれてるような気がして、すっごく好きだし応援したい。

でも私、応援できなくなっちゃったんですよ。。。
よくわかんないけど。私は応援しちゃいけないのかもしれないって思います。

寺島拓篤という人間自体がすごく好きだし、勝手に身近に感じてしまうからこそ、ファンにもなれないし、なりそこねてると思います。寺島拓篤さんに限らず、最近声優さん全員に、そう思うんだよね。

どんどんキャラクターが好きになっていって、キャラクターと混同しまくってて、そういう中で寺島拓篤という声優さんが好きです(^^)vっていったら、なんか、とってつけたようなこと言ってる人に見えるじゃないですか。

おなじようなことを言ってる人たち全体括ってっていってるのではなく、あくまでもわたしが1人の中で抱え込んでる独りよがりな疑問です。

自分自身が、なんかクズに見える、というか、寺島拓篤さんに申し訳ない、という気持ちに、私はなってしまっているのだと、そう思う・・・。

これ、結構すごい前から悩みはじめてて、そんなときに、寺島さんがこんなブログ書いてました。

ただ一つ、ちょっと悔しい事が…
友達からライブの評判が凄く良かったみたいという話を聞いたんですが、

友「おい!好評だぞ!音也と冬馬!」
寺「俺は!?」

やっぱ本物のアイドル達はスゲェや…とても敵わねぇ…
ほら、寺島も人間ですから、やった分は褒められたいわけですよ!でも、やっぱり悔しいよりも嬉しいの方が上なんですよね…
http://blog.livedoor.jp/terashimatakuma/archives/2323953.html


キャラクターが大好きだから余計に中の人に対して好きになってもよいのだろうか、とかよくわからんこと考え始めたんですよねえ。

それに気づいてから、急に今まで聞いてたラジオが聞けなくなって、寄せられる質問はがきで出てくる新しい側面を知るのとか、怖くなって拗らせてしまった。
新しいこと知ったらどんどん気になるじゃないですか…勝手に気になって震えてろよ…とか思うんですけど…

寺島拓篤さんが出てるのかぁ~ってアニメいくつか見てたり、
三国志パズル大戦ってソシャゲを実はちょっとやってたりした時期があって、自分が持ってる唯一レアの孫策の声優がなぜか寺島拓篤になったときはもう連打して声聞きまくってましたからね・・・何しとんねん
あとFate/hollow atarxiaのVITA版のアンリマユが寺島拓篤だと気づいてしまった私は、はぁ~!? VITA版やるしかないじゃーーーんとか普通にホイホイされてますからね FateGOはアンリマユ出すためだけに課金したけど出ませんでしたよね・・・。

あかんわー好きになったらあきませんわ・・・、って音也に戻ってくるんだけど、戻ってくると音也は音也のまんまなんですよ。←?

寺島拓篤さんの誕生日なのになんてことを書いてるんだ・・・
ただ好きだってことを言いたいだけなのに、私はきっと好きになってはいけないしファンになれないって何をいってるの?

ライブのとき、この気持ちが昂ぶっていた私は行くか、行くまいか。かなり悩みました。
こんな失礼な奴がいくもんじゃない、あれは寺島拓篤のファンが行くべき場所。
でも応援はしてるし、そもそもライブで歌を聴きたい。行くべきか、行かざるべきか・・・。

悩んだ末に行かなかったんですけど、後から、ふつうにライブにいった後輩から話を聞いて、「なんで私はその場所にいなかったの???」ってなったんですよね。

だから次は行こうと思っていて。
体力的にも正直、あと何回、ライブ行けるかなって考えてる。でもきっと治ることはないものだから、動けるうちにいっとくのがいいんだと考え始めた。
生きる希望を、歌に見つけられたらいいな。

AD-LIVEだって見に行ったのに、感想書けなかった。
私みたいのが感想つぶやいたり、書いたりしたらいかんのじゃとおもったんですね。

あと自分がこういう風に吐き出すのはいいんだけど、それを周りに見られてどう捉えられるのかというのも怖くて、応援できなくなっているというのもあります。

だけど私は声優・寺島拓篤さんをものすごく応援しているし、つぶやいたり、つぶやかなかったり、まーたキャラクターと混同しているので消えてくれと思われても、きっと声優・寺島拓篤さんが好きなのだと思っています。

書いてて思ったけど、わたしやっぱり2次元でしか生きていかれない人間なんですよ。
3次元(現実)が怖くて、理想や夢を綺麗事でも語ってくれたり、物語として問題提起をして考えさせてくれるアニメーションやゲームとか、そういう仮想現実が、やはり大好きなんです。

でも、寺島拓篤さん、人間じゃないですか!(!?)
イベントとかいくと、人間としてそこにいるじゃないですか…2次元に逃げ込むような人間が、3次元として生きる人、追いかけたらイカンとか思ってしまうんですよ。もう病気だ〜〜笑ってくれ〜〜あーははははばばば

それでもそういう、場所を、作ってくれる、声優さんたちが好きです。
生きづらくてのどが詰まりかけてた自分をたくさん笑顔にしてくれたのは、音也がどんな人かを受け取って表現して、いまいる音也にしてくれた寺島拓篤さんのおかげです。
寺島拓篤さんは、そういう意味でもうアイドルなんです。アイドルだよ!アイドルだー!!!(絶叫して身体を地面に叩きつける)

それぐらい声優としてのパワーで耳を破壊しつづける寺島拓篤さんが12月20日、今日の良き日に生まれてきて、声優になってくれてありがとうございますって言いたかったんです。
前置き長すぎてすみませんでした。

お誕生日、おめでとうございます!
声優さんになってくれて本当に本当にありがとうございます!!!
ただそれだけを言うのなら許されるんじゃないかって思って書いてしまった。
それすらも許されないならもう私は消えるしかないこのネットの海で藻屑になりたい。

こんなのが応援しているなどといって本当にすみません。ごめんなさい。
ありがとうございました。

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ネットが現実と繋がりだしたら、そこはもう私にとってインターネットじゃない

ちょっと前にこのブログ読んだ。

nectaris.hatenablog.com

その前に、このブログが先に書かれてて、このブログも読んだ。

nectaris.hatenablog.com

これねー、本当に最近わたし、思うところがあって昔、ブクマコメントにも書いたりしたのだけど・・・。もうこれすごくわかるんですけど・・・。

 

本当に書きたいことはブログに書けないのはなぜだろう? と思ってよくよく考えてみると、やっぱり批判を畏れているからなんだよね・・・。

自分の頭では、絶対的に批判をよぶであろう、その事柄を、たしかに昔は誰も意識せずに、「クソがー!!!」と思って日記に書いてたりしてたんだけど、(例えば、学校サボって名探偵コナンを今まで出た巻をすべて読破してました♪)とか、今はそんな些細なことでも、ネットで繋がってる社会だから、例えばブログに書いたとして、誰かが観測してたら「あいつ、学校サボって名探偵コナン読んでたんだぜ・・・」「マジかよ、青山剛昌最低だな」みたいな流れになるじゃないですか・・・

だから、気楽に学校サボったー♪とか書けないし、社会人になって会社の人と繋がりだして「会社行きたくないでござる・働きたくないでござる」とか書けないですよ。

だから私にとって、ネットが現実と繋がりだしたら、そこはもう私にとってインターネットじゃないですよ、と。

この喋り方ひろゆきみたいですごく気持ち悪いなとおもって書いてますよ、と。

20年インターネットやってきて、学んだのは、私はインターネットを通じて現実と繋がってはいけない、ということです。

現実に繋がりだしたとたん、インターネットはただの現実です。

逃げ場でもなんでもなくなる。

現実と変わらず、仮面をかぶって、「そうなんですね〜それは大変ですね〜」と相づちを打つだけの世界になるんです。

今の時代の人達はネットと現実がうまく融合しているのが当たり前の世界にいたり、うまく適合出来る人たちは違和感を感じないんだろうし、うまく生きていけるんだろうなと思います。

私は自分自身が閉塞感を感じるだけであって、他人の書き散らした文章を読むのはまあ、たしかに好きではあるけど、それを求めることはあまりしないので、たまに面白い文章を見つけて「おっラッキー」くらいにしか思いませんが、ネットが現実化する世界は、私にとってものすごく生きづらいし、死にたくなります。

ネットは逃げ場所なんです。

匿名ダイアリーとかいう、増田とかいう、逃げ場所

だから、増田という場所で、たまに「どう思う?」みたいなのを書いて、クソ雑魚ナメクジとか、プリントアウトして病院いけとか、大脳の壊れたメンヘラとか言われて、フフ・・・とか安心するんですよ。

なんか増田だと、匿名の自分になれて、本当のことを書いてそれを叩かれても、なんかこう、傷を受けるしショックだけど、続けたブログで発生した乱闘試合よりも心おだやかでいられるのです。

私は少し前くらいに、どうしようもなく死にたい衝動に襲われた時があったんです。

死にたい衝動と死にたくない衝動に襲われて、どうしようもなくて、でも誰にも言えなくて。ブログにも書けなくて(理由を知ってる人がそこを見てる、闇の底があったから)、どうしようどうしよう、って泣きそうになりながら増田に書いたんです。

深夜1時くらいから書き始めて、何回も泣きながら書き直して、ああもうめんどくせー、どうせ誰もよまねーし、とおもって思い切って投稿したんです。

次の日に反応みたら、たくさんのブクマがついててびびったんです。

私のブログって、ほとんどブクマつかないんです。

特化型だしはてなユーザーほぼ皆無だし。逆に今はそれがありがたいレベルですが。おまけに共感性をあまり産まないし、話題性も逃げるし、斧投げられるの怖いから絶対に書きたくないとおもって。だから増田に書いた。そしたら増田のほうにブクマついた。

で、まずはトラバがひどかった。ひどくて、泣いて、笑った。

でもどうせ釣り、もっとがんばれおっさんとか、もっといい文章書けよ、とか。そこじゃねーよ! と思いつつ、次はブコメ開いたら、なんかいつも怖いはてなブックマークのコメントに、優しいコメント並んでた。

大脳の壊れたメンヘルとかよく考えなくても、言われてることすっげーひどいんだけど、プリントアウトして病院へいってこいって書いてあって、マジか、私、これプリントアウトして病院いくか・・・って本気で考えたレベル。

そこのブコメに書かれた内容を逐一読んで、自分にとって突かれて苦しかった意見も、休め、っていってくれるブコメも、こうしたらどうだろう?って140文字っていう短いブコメ欄を使ってアドバイスしてくれるはてなユーザーがいてくれて本当よかったって、あのとき増田に書いてよかったって思うんですよね。

そのとき、きっと増田に書いたのは、増田なら「誰も読んでくれない」という絶望と、「誰か読んでくれるかも」という入り混じった期待と不安からなんだよね。

だってほかにどこにこんな内容書けばいいんだよ・・・きっと相談したかったんだろうな、誰でもいい、誰かに聞いてほしかったんだろうな、結局は・・・って思います。

でもそれを自分のブログで日記のように書いたら色々バレちゃう世の中なんだよね。

でも自分のブログに書いたら自分語り乙とか言われないし、自分だけの場所なんだよね。

自分で物事を表現することを恐れる人が増えた気がする

だから私みたいにクソみたいな文章を書く人間が1人いるだけで、このブログには自分の言いたいことが詰まってる、代弁してくれてる、と思われてしまうのだと思う。

本当はみんな、アニメやゲームに限らず、自分が好きだと思うことを存分に語りたいのに、それを語る上で、誰かからの眼差しを感じたときに、無意識に誰かを傷つけたり、人を転ばせたり、不快にさせたりするのではないか? と、それを恐れて言えないことが自分のいるジャンル界隈でよくおきる学級会とか、追及とかを見てて、よく思う。

私もTwitterのフォロワー数が多くなっていって、若干アイドリッシュセブンの問題に触れたときに燃えているのを実感した。フォロワー数が多い人は、発言に影響があるので、発言に気をつけてくださいね、と心配された(色んな意味で)のですが、私は宗教でもおこしたの? とか正直思った。

で、そのあとPCデポ事件でヨッピーが似たようなこと言われてて既視感あるなぁ・・・と思いました。

そして、それから一生懸命多方面にめちゃくちゃ意識して、誰も傷つけないように、傷つけないようにって配慮しまくって書いた。後から読み直してめっちゃ傷つけてるな、って思うので反省はしてます。

キャラクターの名前とか誤字っただけで発狂とか、比較対象するためにいれた他作品の名前を挙げるだけで、そっちの界隈がブチ切れるとか、もうすごかった。怖かったけど、でも書きたかったので書いた。

で、分かる人にはわかったようで、わからなかった人には、なにいってんのこいつって感じで収束しました。

ソレを見て思うのは、まあ、ブログでもなんでも、読んだ人全員に理解してもらえるなんてことは無理なのだろうな、と。

「胸に響きました」って人と「なんだこのクソみたいな海苔みたいな文章」って言ってる人が両方でてきて、「うーむ」って唸りました。

結局立場的に、オーディエンスってどっちかを殴る方に回って欲しいんですよね、わかりやすい勧善懲悪じゃないですけど、中立の立場で物事を書くと軸がブレるし、言いたいことが伝わらなくなるな、って思いました。

でも私は基本どっちの言い分も理解したいし、ナンデこの人こんなこといってるの?って思考回路を色々紐解くのが好きなんです。

多数決の世界で少数派がボコボコにされてたら、「少数派だからボコボコにされてる」だけで思考停止しないで、「なんで少数派なのか」「どうして理解しあえないのか」を考えてみたくなる。

アイドリッシュセブン問題のときに、はじめてTwitter上における愚痴垢(愚痴だけをいうアカウント)の存在を知ったけど、普段繋がってるアカウントじゃあ吐き出せないって、インターネット上でも仮想現実の自分を作り出してしまうことで、居心地が悪くなってしまうってことなんだな、としみじみ痛感した。

それまでは愚痴垢じゃなくて本垢でやれって思ってたけど、それができない背景はきっとこういうところにあるんだろうな、と。ただ本垢の人に、愚痴垢でふっかけるのはやっぱり対等じゃないと思うので、何かを議論したいときは、互いに匿名でとことん殴り合うか、互いの立場を表明した上で殴り合わないと、本質的に殴り合いの視点が異なってしまうなーとは思った。

あと私は殴り合いや議論がやっぱり苦手です。動悸が起きるし、怖くなる。本当に手が震える。理解し合おうとかかっこいいポーズは取るけど、実際自分に矛先が向けられるとCHICKENなのですぐ逃げます。

そして最後に言います思います「わかる人だけわかってくれればそれでいいや・・・」と。

そんなインターネットで生きるのが生ぬるくて好きなんだと思います。相手をわからせるまでボッコボコに殴り続けるインターネットより、分かる人だけわかってくれればそれでいいかな・・・みたいなぬるいインターネットが好きなんだ、と思います。だから黒と白でわけたり、そういうのが苦手なのかもしれない。

何かを批判すると、とたんにブーメランになって帰ってくる

人間なので皆ブーメラン投法を学んで生きているんだと思います。

私は誰かを責められるほど美しい生き方をしていないので、その人の人生をまず否定することができません。

そして揚げ足をとられることをかなり恐れているので踏み込めません。だから批判に頭から突っ込んで行ける人たちはすごいなーと思うし、ブーメランの投げ合いで後頭部にブーメラン突き刺さる人たちの乱闘パーティは、ほらみてごらん・・・将来の私だよ・・・と言い聞かせながらブログを続けるしかないです。

インターネット怖すぎ無理。

だったら楽しいことだけをブログにかいていきたい・・・あとすげーくだらないこととか。「おかしいぞ?」という問題提起が「ブーメラン」になるのは怖い。心躍る内容がいい・・・。

燃え尽きた灰になったキュレーションサイトについても触れていきたい

最近の話題の炎上キュレーションサイトは確かに嫌いだったけど、情報をまとめるという意味では役に立つ場面もあった。多くはゴミだけど。そして沢山の人を怒らせてしまった。実際に引用された人だけでなく、閲覧者にも不快感を与えてしまった。

インターネットを好きな人であれば、まずでてこない方法での検索結果汚染だな、と私は思う。

インターネットを「仕事」としてみている人だったら、こんなことがこんなふうにお金にかわるんやで^^やらなきゃソンソン♪ってホイホイやるんだろうなと。

そういう会社に2社ほど入った経験があるけど、そういう思考回路の人ってすぐわかる。

そしてそういう人たちって、「法的には問題ない」って必ずいう。

法的には問題ないって自分がいうってことは、モラル的には問題あるって認めてるってことじゃねーか、と、どこかの会社で上司にいわれた経験がある身としてはやっぱそういうポリシーのひとたちとは相容れないナ、と思いました。

弁護士や警察にまで相談して、「問題ないですよね?」って確認する時点で、それって誰かに胸を張って言えることじゃないってこと、気づいて欲しい。

色々話がとっちらかってしまったけど、いいたいことなんて大体ない。なのでおしまいです。

どうもありがとうございました。

水出しのお茶を作るのに新しいボトルを買った

前回の米の話に続き、お茶の話です。

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お茶をがぶがぶ飲みたいので、2L入るどこでも売ってるお茶ボトルを使っていたけど、がぶがぶ飲みたいのに結構お茶が残る事が増えた上になんかおいしくなかったので、お茶ボトルを変更した。

750ml入り、デザインにもよさがある。

何より、キャップがコルクを抜くように、ポンッと抜くのがよい。

茶葉をぼわっとボトルにぶちこめば、フィルターが中に入っているので、茶葉を残してお茶を注げる。ただし細かい茶葉は普通に出てくる。そんなときは茶葉ごといただく。

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面倒くさがりなので、水出しである。

昔はやかんでお茶を煮出していないとなんかおいしくないという概念があったが、お茶に詳しい弟が遊びにきたときに水出しでも十分おいしいというので水出しを今は受け入れている。うまい。

大体750mlのお茶を1日で飲みきるので、夜に飲み終えたら、またお茶を作っておく。

そうすると、不思議なことに、朝、お茶が復活している。

病気の関係で握力に衰えを感じる今日このごろだけど、ペットボトルのように回してあける必要がないので、まだ開けやすい気がする。

ただしガラスなので(しかも薄い)洗ってるときに粉々に割りそう。

アイスコーヒーも作れる。

夏になったら追加で買って試して見たいと思う。

フルーツティなどもよい。夢が広がるし、冷蔵庫の見栄えも良い。

良い買い物だった。

 

 

ごはんの鍋(土鍋)でお米を炊く習慣

昨日くらいからずっとお米の話をしている。

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米はとてもおいしいが、最近は糖質制限ダイエットのせいで米は食べない方がよいてきな雰囲気をとても感じる。

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米におこげができると、おせんべいのような匂いがしてとても香ばしくおいしいのだが、1合でこれだけおこげができるともちもち部分が結構少なくなる。難しい。

これはごはんの鍋とよばれるかもしか道具店の土鍋である。

他に、HARIOから出ているおしゃれな鍋もあり、数年前から気になっていたのだが、なにしろ高い。透明なところからお米がどのように炊けるのか見えるというのはすごく魅力的だったのだが、高いので諦めた。

ちなみに今回1合用のお鍋を買った。正直1合では足りないときもある。だが、このごはんの鍋で炊くと、色々な工程を経て炊いているので愛着があり、お米を追加しようという気分にならない。

ただしカレーのときは明らかに1合では足りないので炊飯器は常備してある。

お米の炊き方

土鍋でお米を炊くと炊飯器より時間がかかる。

  1. お米を研ぐ(5分)
  2. お米を吸水させる(20分)
  3. お米を沸騰させる(1合であれば早くて5分か)
  4. 蓋をして火加減を調整しながら炊く(12分〜15分)
  5. 蒸らす(12分)

まあ、大体約1時間かかるわけだが、1時間だし、休日や、朝早起きして美味しいご飯を食べていこうとする習慣づけにはよさそう。

ちなみに味音痴なので、炊飯器とどう違うのか? と聞かれると、「お米が甘くなる」というくらいのことしかわからなかったのである。通っているとんかつ屋さんのごはんの方が自分で炊いたのより数倍おいしいのが真実である。

色んなお米を食べてみたくなる

雑貨屋さんにいって、「高けぇ〜な」と思いながら似たような安いものを探すのが習慣づいてきた今日この頃ですが、なぜか雑貨屋に米が置いてあった。

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美味しいお米の定期便、というらしく毎月送られてくるらしいが、毎月もいらないので、試せる分だけの2合、ということで、ゆめぴりか、つや姫、色々ある中でコシヒカリを選んだ。これだけで300円以上する。高い。

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コンロ汚すぎてお米に目がいかないといわれた写真です。汚いですね。皆さん、どうかお米を見てください。どうしても吹きこぼしてしまうため、沸騰するまで蓋を開けている。

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沸騰したら、蓋をする。そして、弱火にして12分の間、カタカタカタカタともののけ姫のようにコダマのように蓋が鳴る。そして溢れ出す。ぶんぶぐ茶釜。失敗するとこれが滝のように流れてコンロごと死亡する。

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炊きはじめて2回目で、お米の匂いで大体どんな状態かわかるようになってきた。どうも水が少ない気がしている。1合(150g)で200ccの水をきっかり計りつつ、タイマーも使っているのだけど、どうも突き刺さるおこげができる。

ので、次回は水を少し増やしてみたり、火加減を調整したり、自分だけのワガママお米ボディを作り上げたいと思っている。

このおひつのまま電子レンジにかけたり、冷蔵庫保存できる

便利だが1合ぺろりと食べてしまうので、冷蔵庫保存までに至れない。

1合では足りないが、1合炊きがどうしても炊飯器ではうまくできなかったので逆にありがたいごはんの鍋だった。

皆さんもおいしいお米を食べましょう。

人の死が身近すぎる

普段全く連絡がこない親戚あたりから留守電を残されると嫌な感じしかしない。
国立がんセンターみたいなとこにいるから、顔だけでも見に来てほしいといわれたのだけど、死の匂いがしたので逃げた。
病室に入ったときの、終わりに等しい空気に満たされた匂い。
規則正しい機械音がする病室でわたしは学生時代ずっと本を読んでいた。

結局会いにいかなかったのだけれど、頭の隅でそのことがずっと残っている。
観念して葬式はいったのだけど気分悪くなって車の中でずっと横になっていた。
最後に顔をよく見てほしいと頼まれてみたけど、めちゃくちゃに痩せていて誰かわからなかった。
10年くらい会ってなかったのでわからなくても当然だ、と思いつつ、はあ、とため息をついた。

残った家とか、遺品整理とかしなくちゃいけなくて、ああだこうだと、結局環境まで変わる事になっていなくなった人、やらなければならないこと、たくさんあるのに変わらずアニメ見て笑う自分が時々嫌になる。何にも変わらずたのしいたのしいとつぶやき続けるあのTwitter はやはり現実からの逃げ場所だ。

会いに来て、という言葉が会いに来てほしいという本人からのたっての願いならあるいは、と思いつつ、そんなことをいう人ではなかった、とまた憎しみを思い出しながら、哀しめない自分が悲しい。

きっと全てを知る人ならわたしのしていることがいかに不誠実で常識はずれなのか、もしくは、それで当たり前だといってくれるのか、などと考えながら、ちょっとしたことで責められる気分になってしまってコップから感情の水が溢れ出しそうだ。

死とは現実から逃れるだけではなく、現実からの解放なのかもしれない。

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