いつものことですが、いつにもまして今回の記事は愚痴っぽいです。
愚痴500割増しくらいのボリュームです。
以前の記事でうたプリ飽きた?って話で、そういえば私、ブロッコリーの株買って、株主総会とかでてるけど、何でだっけ? みたいなそういうのを振り返る機会があったので今のお気持ちをダァーと書いてみました。
これらを書いておかないとこれからの自分が何を思ってブログを書いていくのか? というのがはっきりしないな、と思ったので自分に向けて書いています。
なので、背景とか、前提とか、私の立ち位置とか具体的に誰と会話しているのか、とか、そういうの分かりづらいと思うのですが、フーンみたいな感じで読んでもらえる方には読んでもらえると嬉しいかもです。
前提が長すぎて自分自身も読み返してみて何が何やらわからなくなりました。
- このブログの要点
- 最近、要望を書いたり伝えたりすると公式(開発側)がうるせーって思ってるみたいなイメージが自分の中で蔓延している
- ところで拙者、フィードバックが大好き侍と申す者
- 自分の好きだったかもしれないものへの関わり方について考えさせられた痛恨の一言
- その一方でオタク、推しコンテンツの株を買って株主総会までいってフィードバックをしにいってしまう
- ファンとしての終わり
- 反省の色なし
- これからどうするか
- Mr.fanaticを無限ループしてたら何かラクになったよ
このブログの要点
- 私、ブログにコンテンツやプロダクト、サービスに対する要望、感想を書くのがだーいすき!
- それが行き過ぎてついに推しコンテンツの株買って株主総会に参加してしまうレベルにドュフフヌポォ
- でも最近、公式(開発側)って要望に対して「るっせーな!」みたいな事を考えてるんちゃうか?って思う時がありました
- なんでそんなことを思ったかって、自分が関わるサービス、プロダクト内においてそういう発言をする人がいたからです
- さらに「好きなら何かを犠牲にできるでしょ」みたいな会話をしたけど「いや別に…?」という気持ちになってしまい、「もしかして私…そんなに好きじゃなかった…?」みたいな事を考え始めてしまう
- そういえば私、ブロッコリー株、株主総会で物申すために株買ったんだったなぁ…
- 株主総会、推しコンテンツに直接質問投げられるスゲー現場だなってあらためて思う
- それはやっぱり好きだし、応援したいと思うから株主になったんちゃうかな…
- 何で株主総会にいってるんだろう…?↑ここまでの話でいろいろ考えた
- 【結論】反省の色なし
最近、要望を書いたり伝えたりすると公式(開発側)がうるせーって思ってるみたいなイメージが自分の中で蔓延している
要望を書いたりすると、「ぼくの考えたさいきょうの○○」ですか~!?って馬鹿にする人がいるので要望ってあんまり書きたくなくなるときがあります。
とくに開発・運営・サービス提供側に携わってる人がそれを言うのを見るとテンションダダ下がりです。
もちろん直接ユーザーに対してではなくて、内輪の会話においてもそう思ったとしても口にされることは何か自分自身が提供側以前に利用者側であるの意識が抜けないので、ものすごくテンション下がってしまうんです。
何でやらないんですか!? アホですか!? みたいな態度で要望をぶつけてきたり、マイナスの最低なコミュニケーションを取ろうとする人もいるのは事実だと思うし、そうすると開発・運営・サービス提供側の立場として「ま~たぼくのかんがえたさいきょうの~」ですか!?ってイライラするのも承知の上です。
実際私もブロッコリーがうたプリのイベントで売るグッズの在庫は1か何かなの?っていつも煽ってますが、理由があってあの在庫なんだろうし、あれが限界なのだと理解はするし事情は推察しますが、それでもやっぱり完売は許せないので在庫1ですか?って煽ってしまいます。
不満が蓄積されすぎて、「何で自分にとってこんな当たり前のことをしてくれないのか?」みたいな態度が悪態に繋がってお互いの気持ち良くない体験の繰り返しみたいなのを、うたプリに限らずゲームやウェブサービス、実店舗などにおける経験を感じるところがあります。
この要望周りの話、結構私は気になっておりまして、もちろんそれぞれの立場や考え方、方向性などがあるので、すべてを一括にして語ることはできませんが、以下のような話は参考になるのでよく読んでいたりします。
ゲーム会社でいうところで、アイディアの押し売りの話とか、
欲しいグッズをイラスト化すると商品化されないとか、
このあたりはアイディアが云々~とかあると思うし本当に面倒なところもあると思うのですが、私は要望は書きまくるし実際にフィードバックしてしまうタイプの人間です。
ところで拙者、フィードバックが大好き侍と申す者
フィードバックするのが趣味なので、様々なベータ版に応募して当選したり、ハマったものがあったりしてしまうと、ブログにも感想や要望を書いたりしてしまいます。
ゲームだと原神やシャニライも定期的に要望をメールで送ったり、バグ報告したり、最近になってようやくずっと要望出していたとこ直したりしてくれたりして、ありがたいなーと思ってます。
WEBサービスもバンダイナムコさんとかログインできない問題の指摘をしたら爆速で解決してくれたりとかして本当に感動しました。
すごいなーって思いました。致命的だったからというのもあるとは思いますが、反応があって、丁寧に対応されると嬉しいなと思いました。
一方で自分が関わるプロダクトやサービスにおいても、内部的にフィードバックするそういう機会はもちろん、あるんですけど、こっちは人間要因で、フィードバックは疲れてしまいました。
というかする意味のなさがすごい。
要望系、やりたいと思ってるけど優先度的には低いし、みんな好きなことをやりたいと思ってるのに我慢して他のことやってるんだから、気軽に口にしないでほしい
みたいなことを言われました。
はい…。
採算性のないような機能に貴重な開発リソースは割けないし、思いつきのような話題にされて迷惑ってことは理解します…。
お金になるようなものを優先して機能開発して、特段効果がなさそうな要望については後回し(優先度下げる)、
もちろんそうした事情も頭の中では理解できています。当たり前だとも思います。
そうした事情を鑑みない無邪気な要望に対して苛々されたのだとも思います。
「なんでこんなことやらないのか」とか言われているけれど、それをしても効果がないとか、採算性がないとか、やる余力や余裕がないとか、あると思います。
確かに利用するだけの利用者、ユーザーとしての立場とは異なり、内部からフィードバックするのであれば、「こうするべきだ」「ああしたほうがいい」みたいなことばかりを言葉にするばかりでなく、実行が伴わなければ口だけ挟むうるさいヤツなだけなので、そういう人間はいらないですっていう話なのだろうなというのは漠然と理解はしています。
一方でそうした内部事情を知っていてなお、自由なフィードバックに対してもこんな反応を返されて、心理的安全性を奪うような行為については信じられないとも思いました。
今回のような反応をされたことは先述した通り、「口先だけで」「実行はしない」と思われていたのだろうな、とは思うのですけど、確かに「よし、やろう!」みたいな気概はなかったな、とあらためて感じたので、それはたしかにな~と思いました。
いままでだったら色んな人に根回しするなりして、実現性の高い内容を最初から考えたり、立ち回ったり、もう実際に行動移してからこういうのやりたいっていうやり方をしていたはずなんですが、過去の今までの体験から、こういうことをたとえやったとしても、何の評価もされないし、自分にとって何の得にもならんのに、なぜこんなことをしなければいかんの? みたいな感覚があって、ただの「こういうのあったらいいですね」くらいの雑な要望提案になってしまっていた気がします。
何かお気づきの点あれば共有してね、とか言われたのを真に受けてしまって、お気づきの点を都度共有してたら「あのさぁそういうのやらねーから」って言われ続けたら萎えちゃって、お気づきの点は共有してもしようもねえなって思うようになってくるというか。
とはいえ、自分がフィードバックを受ける立場になることもあるのですが、こうした反応にならざるを得ない状況下や、心理状況になるとしても今日の自分を思い出して、そんな反応はなるべくしないようにしようと自戒していきたいと思ってます。
私にとってラッキーだったのは、フィードバックをする会話をしても、こうした事情についても加味しつつも前向きな話を一緒にしてくれる人がまだいたのが救いだったなと思います。
自分の好きだったかもしれないものへの関わり方について考えさせられた痛恨の一言
さらには、
本当にやりたいとか好きだったら、自分の時間を使って叶えてますよね、その要望。
と言われてンン~!!?って思いました。
喩えると、ブロッコリーに在庫用意しろ~!とか本気でいうなら、お前自身がブロッコリーに入社して在庫用意できるように努力するレベルじゃないと「在庫を用意しろ」ってことに対して本気じゃないっすよねみたいな会話をしました。
この会話したときに、…
すごく…
その…
萎えたんですよね…。
そして気づいてしまいました。
ああ…私、つまり…、そこまで好きじゃないのかもしれない、と。
やりがい搾取~って揶揄するけど、「本当に好きだったら何もかも犠牲にしてできる」って本当に…私は、そう…思うだろうか…?
皆さんは本当に好きだから何もかも犠牲にできるものってありますか?
時間は常に犠牲にするものなので好きなゲームをするのに時間を犠牲にしているとはいえるけれど、それを「犠牲」と捉えるか捉えないかはまたその人の考え方次第だと思ってたりします。
自分がやりたい、好きなことをしていて「うわ~無駄な時間使ってしまったナリ~切腹でおじゃるアババ」みたいな気持ちにはあんまならないと思うんです。
ただ、家にひきこもって無限にゲームしたり無限に寝てたりするの大好きではあるけど、「うわ~もっと違うことできたかもしれない」という謎の後悔には襲われるタイプではあります。
ゲームも寝ることも好きだけど、何かもっと違うことできた気がする~!! と思う謎の後悔です。
ネットサーフィンやYouTubeをダラダラ見てて一日が終わった時もフワー! 時間を無駄にしてしまった~!!! とか思うことはありますけども…。
そして、好きなことを仕事してるなら無限に残業できるし貢献できるじゃん? とかそういうレベルの話をしたんですよね。
実際好きなゲームしてる時は朝から朝まで24時間無限に稼働できるときあります。
過集中気味なところがあるので、例えばそれがお金をもらえるようなことだとして、好きなことをしてそれでお金がもらえるなら最高にHAPPYでWin-Winでは、とも思うけれど私にとってお金をもらえる時点でそれには責任伴って、無責任に遊べる立場の自分が死ぬので「本当にそれ好きでやってることか?」って自分に投げかけてしまうんです。
私は自身が関わるプロダクトやサービスは好きですけど、見返りというか、それをやるのに対して成果を評価してもらったりする担保がないと動けなかったので、今関わっているものは好きだけども、好きだからを理由に何でもできるタイプの人間じゃあなかったんだなって思いました。
俺がやらねば誰がやる、休み返上でやらせていただきます!! みたいな自らによる申し出もしたくねぇ…って思うようになってしまいましたし。
ようするに、なにかしら実行に移すにも担保がなければ動けないと思ってしまう自分がいて、そうした打算なく動けていた若い頃の自分も昔はいたはず(好きだから何でもできますぅというようなマインド)なので、そういう情熱死んだのかな、というのは考えました。
トドメのやりとりとしては、
成果に対する報酬や評価、見返りがないとやりたくないタイプですか?
って聞かれて、「?」って思ったので即答で
はい
って答えてしまったのだけれど、
私は好きなことなら、見返りなくてもやれちゃいますけどね(笑)
と言われてしまい、どうやらこれルートの選択肢間違えて好感度めっちゃ下がっちゃったみたいでBAD ENDを突き進みました。
ここは嘘でも、「私も好きなので(笑)やれと言われたらいつでもどこでも何でもできちゃいますね(笑)」とか言うべきところだったぽいけど、どうしても言えなかったです。実際やってないし。ごめんなさい。世渡りが下手すぎて無理。
その一方でオタク、推しコンテンツの株を買って株主総会までいってフィードバックをしにいってしまう
しかし拙者、フィードバック大好き侍と申す者。
自分の関わるものに対して好きどうかなんていう疑義的なものを抱いていようが、なぜか推しコンテンツの株を買って、株主総会にまで押しかけてしまう始末でござる。
なお、以下の記事、当時かなり叩かれており、完全に心が疲弊しきっているので前置きが死んでいます。
こういう当時の心境がブログに残ってるのって記録だなーって思います(?)
このときはシャニライに注ぎますとかいってて心境の変化が怖すぎる。
なんだっけな、こういう狂ったファンが株にまで手を出して企業に口を出すことはよくないみたいなこともブログのコメントに書かれましたね。
それもスルーしてその後毎年参加してますけど。
Dolce Vita 出せよ~!!!って株主総会で叫ぶと株価下がるならヤバイけど、Dolce Vitaを出すことで開発費や宣伝費がまたかかって傾くのはありそうなので出せ~!!!って騒ぐと怒られそうとは最近思っていますよ(´・ω・`)
悲しいけどそれは可能性としてありえる話だと思っています。
それにしても株主総会、正直、楽しいです。
とはいえ別に株に明るいわけでもなく、株主総会、何いってるのかよくわからんところはあるし、見当違いの質問を投げてる自覚はあるけど、聞きたいことをつい聞いてしまいます。
そう、ずっと発売されないDolce Vitaのこととかね。
結果的に評価損益上では損しまくってますけど、満足度は高いです。
コンテンツに関わる関係者の方と直接対峙できて、リアルタイムでやりとりできることに応援していることの実感があります。
そして今日ここまで書いてきたものすべて、内部事情とか知らんわの勢いで「Dolce...Vita...」と株主の立場でやいのやいの言える、金も口も出すけど、実際どうするか・何をやるかの責任は企業に丸投げの物言いが私は好きなのか…? とか思ってしまいました。
そうそう、今回のブログで書きたかった主点のひとつ、「好きだから何かを犠牲にできる」っていう人、ブロッコリーみたいな、こういうコンテンツ企業で働いてる人でも多そうですよね。
というか、そういう人じゃないとこういうエンターテイメント系のものは続かなさそうなイメージです。
好きだっていうモチベがなければやってらんねーわみたいなことばかりそう。(偏見)
それに、シャイニング事務所、明らかに深夜のおかしい時間にツイートしてるし…
ちゃんと深夜手当とか、もらってて欲しいです…。
自分が見返りがないと動けない人間なんでこう思っちゃうんですけど、好きだからという気持ちを搾取されて、心身を壊してしまうとかそういう状態になってほしくないです。
私のような狂乱ファンのせいで心身を壊す原因の一端になってるとも言えるから「何いってんの…?」ってなるとも思いますけど
ファンがほしいと望むものと、売上の両立とかも大変そうですよね。
ファンクラブが出ないのは何でなのかな!?(急にぶっこむ)
運営が大変だからとか色々あるとは思うけど株主の人からも何回か質問あったはずです。
ファンクラブを運営する=企業として儲けるに繋がるかもわからないし、果たしてユーザーにとっての幸せに繋がるかまではわかりません。
私はかねてより特典商法や直筆サイン商法で同じものを無限に積むという行為自体に懐疑的なところがあったりもして、「同じものを買って応援する」ことの是非について、いつも考え込んでしまうのですが、実際にこの方法が売れるという結果につながってるからこそ、その方法が続くのだと思ってます。
自分に合わないならNot for meで買わなければいいしなあとも思ってます。
これは昔から変わらない私の考えですが、私は本当に欲しいものを欲しいと思って買うし、その買った結果が今後のコンテンツの成長に繋がってくれたら嬉しいなと思ってます。
何かをして欲しいから、
コンテンツが継続してほしいから、
自分にとっていらないグッズやら何やらを購入して応援していかなきゃとかみたいになってくると、手段と目的が逆転してるというか、本末転倒すぎると個人的に考えてるので、欲しいと思ったものを買って自分のできる限りで応援したいなーといつも思ってます。
なのでそろそろ980円のシャニライ課金はやめようか…? と思い始めてます。
ウーン。
めちゃくちゃ好きだったのにサ終しちゃった~! お金払ってないけど~!
みたいなユーザーとか、いやそりゃサ終しますわってなりますけども…。
めちゃくちゃ好きだし、こういうのがあるといいな~! 私はやらんけど~!
みたいな関係者も、お前、口だけでやらんのかいってなりますけども…。
好きでした!愛してました!の言葉だけでは何も続かない現実。
同情するなら金をくれ、じゃないですけど、
続いてほしいなら課金しろ、は真実なんだろうなって思います。
一番つらいのはコンテンツとして好きなのに、自分がほしいもの、お金を出したいと思えるものがなくて、貢献できるところがない時かもしれません。
そうなっていくってことは、それはもう運命だし、終わりだと思うので続かなかったのなら、そういうものなのだろうと受け入れざるを得ないところもあるよなと思ってます。
ファンとしての終わり
昔ブログにファンとしての立場で「報われたい」気持ちについて書いた時に、
自分が好きで勝手に金を出したくせに報われたいなんてと思うようになったら、ファンとして行き過ぎてるというか、終わりですよ
といったコメントが書かれたのとふわっと思い出したりもしました。
いっつも同じようなことを言ってるなぁ自分~いつだって報われたいと思っていて、無償の愛とは程遠い場所にいるのかもしれないですね。
プロダクトに関わる立場でない利用者としてだけの自分だけであれば、やりたいこと・して欲しいこと好き放題にいってればいいとは思いますが、関係者としての立場では利用者だけではない責任が伴うことも重々承知はしています。
反省の色なし
今回「本気で好きじゃないから、何かを犠牲にできないんですよね?」みたいな話をされて、
「何かを犠牲にするほと本気で好きじゃないくせに、無邪気にあれがほしいこれがほしいワガママ言うな」みたいな話をされて、
ものすごーく萎えてしまってマジやる気マイナス-398329785%くらいになって、
なんもわからなくなってるのに、好きなものに対しては、これからも変わらず要望(フィードバック)を出しつづけたいという気持ちをブログに書きたいし、株を買ったりして応援できたり質問できるなら買うし、株主総会に行くと思うんです。
なぜならこうやってこうしてほしい~!!って書いておいたりして、質問したあとで要望が叶ったときとか、なんかすごく満足感があるからです。
ここまで色々悩んでる風に書いておいて反省の色なしなのが自分のやべえところだという自覚はあります。
好きなものは好きっていいたいし、好きなものはもっとよくなってほしいし、表現しつづけたいという独善的な気持ちがあります。
自分が伝えたからとか、ブログに書いたからとかメール送ったから株主総会で聞いたからとか、そのおかげで要望が叶ったとかではなく、元々やる予定があったとか(質問と発売の時期を逆算したら元から予定していたんだなとかわかる)、自分以外の人からもたくさん要望があったとか、自分が~したからこうなったというわけでは絶対にないけれど、やってほしいな~って気持ちを書いておくと、要望が叶ったときにヤッター!!!っていう自己満足感がなんかすごいので、こうなればいいな~は書いていきたいし、伝えていきたいし、こう思ったということはブログに残していきたいのです。
あとはやっぱり、好きなものを作ってくれる人への感謝というか、自分自身が感謝されたことで救いになったことが多かったので、要望の他にもありがとうございますっていう気持ちも忘れずに残せていけたらいいなと思うし、忘れてはいけない感情だとも自戒の意味を込めて書いておきます。
いつも要望ばかりの発狂文句クソオタクなので…
おまけに、やめますやめますいってやめないのはもう自分自身わかったので…
ブログもTwitterも課金もやめてないですし…
やめるやめる詐欺って本当にあるんだよADV状態だし…
そして、本当に好きなことで、見返りなくても、できることの高揚感も大切だと思うし実際そういうムーヴすることってあります。
それして何の意味あるん? みたいなことって他人からしてみればたくさんあるけれど、きっと自分にとってみれば何かしらの意味のあることなのでしょう。
好きだから、を原動力に何か成すというのはきっと、そういうなんだろうなっていうのはなんとなくわかるような、わからないような、みたいなところにいます。
これからどうするか
自分の心と落とし所をつけながら、自分のやりたいこと、こうすればできるかもしれないみたいな考え方や提案をお互いに楽しく受け入れてやっていける人たちと一緒にがんばれたらいいなーと思ってます。
これからやりたいこと、やること、こんな風にやろうとかの工夫や、やり方をたくさん話してて楽しい人はやっぱり楽しいです。
無邪気な要望を出すことで不快になる人とは根本的なズレがあると思うので、話して調整することも必要だと思うのですけど、個人的には距離を置きたいです。
話せば話すほど心が摩耗します。もう好感度-348943956864くらいいってるだろ。
昔は、完全に理解はしあえなくてもお互いに理解する努力はできるとか思っていたけれど、自分の心が摩耗していくのに付き合う必要はないって考えないと生きていかれないなとも思えてきました。
当たり前に考えていたことだけれども、あらためて会話の中でこうした考え方をつきつけられて、私コウオモッタヨみたいなことをブログには書き残しておきたかったので、何がなんだかわからないけれど、とりあえず書いてみました。
Mr.fanaticを無限ループしてたら何かラクになったよ
最近、Mr.fanaticって曲がAmazon Musicで流れてきて、なんか歌詞が耳に残るので気にいって聞いてたんですけど、fanaticってなんだろうって思ったら,
熱狂者、狂信者
とあるじゃないですか。ワイのことか?
熱狂者であり狂信者であるけども、そんな自分をどこか冷めた視線で俯瞰的に見てる冷笑系のフリをしている自分が最近ざわざわして気持ち悪いんです。
それにしても、まるで自己紹介みたいな曲名のタイトルで笑ってしまいました。
ただ歌詞が脳にこびりついて、聞いててなんか癖になります。
最近うたプリとかアイドルのキラキラッな曲や歌詞に元気もらうよりも、こういうしょうもねえ気持ちで「そうだよね」って頷きながら聞いてしまうんだけど、しようもなさを音楽で殴ってくれるからそれはそれで気がラクになるなとは思いました。
全部妄想だよって冷めた言葉で起こされて
テーブルの上の期待なんて裏切っちゃえば?
真実が一つだけなんて嘘みたい
ねぇ汚れてしまったのはきっと僕の方で
あの日の願いに今日も震えている
心から信じていれば違ったのかな